海になりたい

変わり続ける君を 変わらず見ていたいよ

いつから原作厨として通えなくなってしまったのか

学期末。学校のことでいろいろしんでいます。

 

今回は推しと出会ったきっかけの舞台のはなし。

 

 

初演の評判と原作ファンとしての軽い興味本位で足を運んでから1年と少し。

2.5次元の世界に魅せられて、原作厨している友達とずっと一緒に通っていました。

お互いこれが初めての2.5次元舞台でした。

 

 

秋に新作公演がありますが、友人の推しキャラを演じていたキャストは前作で“卒業”しました。

 

それを踏まえ、友人を新作公演に誘うと

「○○くん居ないなら行くの迷う…」

と。

 

これを機に、わたしもこの作品で出会った推しが卒業したら、わたしはこの舞台に通えるのか...を考えていました。推しはこの作品で”原作の推しキャラ”を演じています。

 

 

結論としては、

無理かもしれない。です。 

 

 

原作厨として舞台に通っていたはずなのに、いつの間にか俳優のおたくとして通っていたらしい。

舞台に対する原作厨としてのモチベが思った以上に死んでいることに気づいてしまいました。俳優の”推し”という存在がそこでできたから、それが今の舞台に通うモチベに繋がっていたんだな、と思う。

 

推しが卒業しても、作品が続けばキャストは変わって“推しキャラ”は舞台の上に存在する。

そうなると、舞台に通うモチベは必然的に作品自体の魅力にリセットされる。

原作厨は全く辞めたわけじゃないんだけど、原作厨として舞台に通い続けることができるかと言われたら、、正直全然自信がない。

 

推しが卒業した友人は、この舞台に行くなら推しのほかの作品をもっと観に行きたいと言っている。

きっと私も推しが卒業したら同じことを思うだろう。

 

2.5に足を踏み入れるきっかけになった作品、きっとキャス変しても原作のおたくとして通いたいとおもえたはずなのに。

舞台に対する原作厨としての違和感の積み重ね、身体的に過酷すぎる演出、そういうちょっとした不信感をファンとして見て見ぬ振りをしてきたけれど、これを機に目を向けることになった。

 

 

重ねていくごとに冷静になってしまう。

ゆめはゆめのままおわりたい。

 

 

ひとまず秋がたのしみだったりこわかったりします。